「教育」は「ギフト」へ

 

6月のはじめ、私は元町中華街にある「イルム元町スクール」にいた。

久しぶりに熱い教育の話がしたくて、イルム代表の甲斐さんに取材の名目で会いに行く約束をとりつけていたのだ。

甲斐さんにはインスピレーションを感じることが多く、教育について思いっきり意見を交わすことができるし、思考の相乗効果で何か新しいものが生まれる感覚がある。

その日もランチから始まり、取材中もウンウンと首が上下に振れっぱなし。
そして、甲斐さんが言った。

 

「なんかさ、「教育」っていう言葉、他の言葉に言い換えられないかね?」

「「教育」や「教師」という手垢にまみれた言葉を使わずにさ。」

 

お会いする数日前、ほぼ日刊イトイ新聞の記事に、こんなのを見つけてシェアしていた。

 

(第5回 漢字とマンガ。の糸井重里さんのお話より抜粋)

日本では昔、先生を育てる学校には
「学芸大学」とつけていたんです。
学芸ということばは
「藝」の象形文字を見てわかるように、
「ひざまずいて、育てる」ということを
意味しているんですね。

 

だけど、ある時期から、
各地にあった「学芸大学」が
「教育大学」という名前に変わったんです。
さて、教育大学の
「教」えるという字は、
どんな象形文字がもとになっているのか。
実はこれが、
「鞭で躾ける」という象形文字なんだって。

 

だから教育と学芸は、
同じような意味だと思われているけど、
じつは、似ているどころかぜんぜん違う。

 

芸術の芸も、園芸の芸もそうだけど、
ある時間の中で、
自然に手を入れて、育てている。
ひざまずいて、育てている。
そういうことを教わったんですけど‥‥
ちょっと感動するわけですよ。
こういう想像は、
キーボードを「叩く」ことからは
やっぱりできないです。

 

「あの記事面白かったよね」

 

そんなひょんな会話から話が広がり、「教育」や「教師」という手垢にまみれた言葉を使わずにそれについて新しい態度で語る方法はないかと2人で思考し始めた。

すると甲斐さんが、

 

「なんかさ、全ての大人たちがその能力と専門性、そして時間を少しずつ子どもたちに寄ってたかって「ギフト」する感じが、今後の「教育」のカタチかもしれない」

 

そう言った。

私は思わず、「そうですね!!」と膝を打ち、「「教育」は「ギフト」へ、ですね!」そう答えた。

 

 

そこから「教育」は「ギフト」へという言葉が私のホットワードになり、私が主催する『先生の学校』2周年イベントのタイトルにまでさせてもらった(甲斐さんに了承もなく勝手に)

 

 

そして、今日がまさに2周年イベントで、今はもう爽快な疲れにまみれているので、明日以降のブログで詳細は書こうと思うのだけれど、今まででいちばん良い場をつくることができたように思う。

私は、『先生の学校』という場・存在で、先生たちへ「ギフト」したいと思っている。
まだまだ道半ばだけれど、今日はちょっとだけ「ギフトできたかも」、そんな気持ちを強く感じた一日だった。

 

最後に。

本日参加してくださった方にお配りしたパンフレットに書いた私の2年分の想いと、3年目の抱負をご紹介して、終わりにしたいと思う。

そして、足元の悪いなか、足をお運びいただいた参加者のみなさま、ゲストのみなさま、本当に本当にありがとうございました!!

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

「教育」は「ギフト」へ

先生の学校を始めて2年。教育の世界を外から見つめ直して4年。まだまだ理想の教育を言語化できずにいます。

ただ1つ、この2年間で確信を持てたことがあります。それは、日本の教育のミライは明るいということ。

この2間で出会った300名を超える先生方はいつも前を向いていたし、教育に興味を持つ先生ではい方々も、一緒に前を向いていました。

まだだ固定観念に縛られた日本の教育環境のなかでも変えられることに目を向けて挑戦し続ける先生たちが沢山いる。そしてそれを支えようとる方たちがいる。

これからは先生だけでなく、みんなで手を取り合って、強みを持ち寄って子どもたちを育てていく。

そのために何ができるかを模索しながら、3年目も突き進みます。

先生の学校 三原菜央

 

 

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